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    ■2016/11/24(木) ■Marcos Jimenez~ソロピアノの魅力


    Marcos Jimenez(マルコス・ヒメネス?)は読み方さえおぼつかないくらい馴染みのないピアニストだった。ある時ピアノ・トリオ一辺倒だった私の嗜好がソロ・ピアノに傾き、そういう頃に出会ったのが彼のソロ盤『I Thought About You』だった。艶のあるフレージングと心に沁みる演奏というありふれた形容しか思い浮かばないのだが、ある時ある状態の私の心に強い印象を残す作品となった。スタンダーズの解釈が他の奏者とは一線を画し些細なフレージングの末端にさえ美意識が感受された。では他の作品はどうだろうと芋蔓式に検索するのが私の常であるが他をあたってみると数枚ピアノ・トリオ盤を出しているようだった。ジャケットを確認すると一枚を除き所持していた。最新盤は去年発売されているらしいが本邦の発売がないようなのでドイツのアマゾンへ発注した。遠く欧州の輸入盤ゆえ到着は忘れた頃となるだろう。それはそれで楽しみなのである…
    そういう訳でトリオ盤をもう一度新たな耳線(?)で聴いてみようと思っている。刺激の麻痺しつつある近況における私的な明るいニュース。先ずはソロ・ピアノの極み「I Thought About You」を強くお勧めしたい。

    2000年「After The Rain」
    2004年「Songs For The Tree」
    2008年「 Different」
    2008年「I Thought About You」
    2013年 「Awakening」
    2015年「Three Words」

    1960年生まれスペイン出身のピアニスト、マルコス・ヒメネス。スイスに6歳で移住、ジュネーブを中心に活動。

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    17:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | Piano | Page Top


    ■2016/09/27(火) ■ゆえあってエヴァンス・ヴィレッジヴァンガード・コンプリート盤を聴く



    ゆえあって襟を正して音楽を聴くことから半年近く遠ざかっていた。久しぶりに自宅のオーディオ装置:そう呼ぶには些かショボイがアキュフェーズと小降りなJBLの組み合わせで音楽を聴く時間を得た。

    かく音楽飢餓状態で何を求めたかと言えばやはりビル・エヴァンスである。これも1年ほど前に遅かりしだが、かの1961年のヴィレッジバンガードのコンプリート3枚組を買ってラックの奥にそのままにしておいた。何故か今日、これは今しかないぞと言う想いに駆られて聴いている。

    持論だがビレッジバンガードのライブ盤はあの2枚で完成されていると思っている。レコードに針を落とし裏表を聴いて終息するまで…その選曲/取捨選択/順列を含めて一作品として演奏者/作成者の意匠であると思っている。それゆえコンプリート盤などは余計なものである、いやもっと言えば作品を穢すもの、冒瀆ではないかとさえ思っている。これは全ての盤に当て嵌まる。もちろん優れた盤に於いてであるが。

    けれど大方のエヴァンス・マニアにとっては発売されれば一番に飛びつく盤であろう。没にされた未収録音源が判る上に午後の部と夜の部の双方演奏順に全てが聴けるのである。垂涎盤と言っても過言ではない。もちろん彼らは直ぐに聴いたのだろうが。

    で、あまり好きではないコンプリート盤を聴いている捻くれファンの私は1枚目の#2で突然途切れた録音の"Gloria's Step"ですでにムッとしている。世界初収録と書かれているが、これではボツ必至だろう。

    もう1つ言いたいことがある。最近のCD盤によくあるのだが古い音源盤のCD化に際しテイク1やテイク2を何の配慮もなく並べて収録しているものがある。あれはいけない。全くトータルティとして、最初から最後までの一連の作品として盤を捉えていない。瑕疵も作品の一部とでも言うのだろうか?

    聴き進むとやはりアルバム収録の各曲の秀逸さが際立つ。未収録曲には未収録にされたなりの理由がある。当たり前だ。

    どうやら私の大好きなスコット・ラファロの重厚で沈鬱、悲哀のこもったベース・ソロが聴ける"My Man's Gone Now"はイブニングセット2曲目に演奏されたものだけのようだ。

    しかしそれにしても泣ける。まるで11日後、自らの命が亡くなることを知っていたかのようだ。切ない。
    23:46 | トラックバック(0) | コメント(2) | Piano | Page Top


    ■2016/08/08(月) ■アコギの夏 ~ラルフ・タウナー

    最近ピアノの話題ばかりだが実のところギターも大好きである。考えてみればこの小さな楽器こそ私の音楽生活(?)での最もつきあいの長い身近な楽器であろう。

    弦楽器の特性は危うさを内包した調和だと思う。危うさとは言うまでもなくキリキリと鉉で巻き取られた不服ある弦のテンションである。隙あらば破壊への衝動を常に腹包した6弦の反逆者達…

    ギターはアコギ(アコースティク・ギター)である。今やギターの代名詞的に席巻するエレクトリックなギターも時と場所で最高の盛り上がりやスリルを味わえるがその純度と深度においてアコギの敵ではないと思う。張りつめた弦から放たれる新鮮な音の拡散と集束、表板の原木を偲ばせる深い共鳴、フレットを走るスキップ音の作為なき輝き、どれも瞬時に消えゆく儚くも美しき現象だ…それゆえ一時とて目(耳)を離すことができずにいる。まさにその滋味掬すべしである。しかしこれらの美しき統制にふさわしい技量とセンスを備えた奏者は少ない。

    その少ない奏者の1人がラルフ・タウナーだ。クラシカルな技量から発せられるソロ・ワークの素晴らしさには唯々平伏するしかない。ウィンターコンソート、オレゴン等を経てECMでの活躍が顕著。その他多方面での活躍は一口にはダイジェストできない。私的には特に彼の奏する"Jamaica Stopover"というオリジナル曲が大好きである。跳躍するリズムとメロディとが一体となり醸す哀愁感の極み。子供のころ読んだお伽話の不思議な国の音楽のように強烈な感興を覚える。未聴の方がいらっしゃたなら是非にお勧めしたい。1989年録音ECMレーベル『City of Eyes』初収録、アナログではA面一曲目に盤中では唯一のソロ演奏だ。あと忘れてならないのがマーク・コープランドとの1993年の共演盤『Songs without Ends』で、ここではコープランドのピアノがタウナーのギターとセンシティブに絡み最高の演奏となっている。双方甲乙つけ難く両者必聴だ。http://youtu.be/uBGWkxwL7vU


    06:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | Guitar | Page Top


    ■2016/06/28(火) ■Grant Levin ~ジャズ盤蒐集再燃~

    長年蒐集したジャズCDの一部を売っぱらって2台目のロードバイクを購入したという話は以前アップした記憶がある。軽く売っぱらってと言ったがそれはそれで付帯する様々な負荷がある。先ず大きな障壁となるにはどれを売ってどれを残すのか?という選別の問題だ。ピックアップには改めて聴くしかなく、この行為が非常に労を要するのである。但し幾ばくかの良い点もある。聴いてみてこれは好いなぁと改めて認識することも大いにあり得るのだ。そんな一枚がGrant Levinの『The Bust』である。女性に見紛う容姿の美しさから或る友人などは女性ピアニスと思い込んでいた。名前がGrantであるから男性であろうことはおぼろげに察したがその繊細なタッチとエッジの効いたフレージングは女性的でもあり男性的でもありその誤りは容易に理解が及ぶ。彼の作品はこれ1枚しか手元に無く確か自身のポートレイトをジャケにしたものがありこれは既に手放した記憶が薄くある。また後年もう一枚出していた事も記憶にある。そう言うことで売ってしまった盤はさて置き、
    後年発売の1枚を探す旅が始まったのである。調べると後年盤は2007年録音でアラジンのランプのジャケと蓋のヒンジの縦ラインにオシャレにも飾り玉が入っていることが分かった。手持ちの2004年録音『The Bust』には何と赤いサイコロが2つ入っている。(写真参照)いやはや実にオシャレなことだ。この手の意匠はこれを他に見たこともない。

    以来、機会あるごとに中古ショップを探す日々が続く。勿論ウェブサイトでの探索も行ったのだがなしのつぶて。ますますアラジンの魔法のランプ・ジャケが頭から離れなくなったのであった。そう言うことで今日は浦和に行くと直線的にJszzCD売り場に向かったのであった。そして発見。久しぶりの感動であったが、私の中ではもう1人の冷ややかな自分がいて嬉しさを膨らめることができずにいた。(なぜか?インタバルがありすぎたか?)

    早速聴くと前作と同じ面子で同様なタッチと疾走感が素晴らしく3曲にフルートが加わるが決して邪魔ではない。寧ろメロディの輪郭が美しい残像を結び感動的でさえある。

    その場で米アマゾンに最新作をオーダーする。また1人お気に入りのピアニストが加わったことになる。嬉しい。

    ジャズ盤蒐集再燃の件りでありました。お粗末。










    22:45 | トラックバック(0) | コメント(4) | Piano | Page Top


    ■2016/05/30(月) Jazzお茶ノ水博士と幻のピアノ・トリオ盤の話

    最も足繁く通ったCDショップと言えばディスクユニオン(DU)。中でも特に『Jazz東京』であろう。昔は『お茶の水店』として現在の『Jazz東京』店舗の道路を挟んで向かいの雑居ビル1-3階で営業をしていた。嘗ての中古レコード店の雰囲気がプンプンとする店舗と現在の『ジャズ東京』とのそれでは洗練度合いにおいて隔世の感がある。もちろん私が愛着を感じるのは嘗ての店であるのは言うまでもない。

    当時そのお店で頻度高くお会いし顔見知りになった方がいた。茶ノ水でお会いしJazzに造詣が深いので"Jazzお茶ノ水博士"と勝手に呼んでいた。もちろん私の心の中だけでである。

    或るとき異動で私の勤務地が銀座から埼玉の田舎になり嘗ての頻度でDUに行くことができなくなった。加えてロードバイクに嵌った時期でもありCD3000枚ほどを処分し2台目のバイクを購入した。ロードバイクに嵌ったからジャズ熱が冷めたのかジャズ熱が冷めたからロードバイクに嵌ったのかは定かではない。かくて私の足は『Jazz東京』から少しづつ遠退いていったのであった。

    過日、久しぶりに所用があり夕刻の神保町へ行った。『Jazz東京』の近くまで来たので懐しさにまかせ寄ってみる事にした。階段を上がるとジャズメンのポートレイトがディスプレイされており昔のままだ。踊り場をグルリと登りきり店舗に向かうと目の前の通路立つ懐かしいシルエットが飛び込んできた。イヤハヤ、"Jazzお茶ノ水博士"が新着CDコーナーを眺めているではないか!

    そういう訳で再会を果たし、遂にはとりとめのないジャズ談義の坩堝に嵌ってしまったのである。ジャズ熱が冷めたと言ったがどうやら内なる燠火は消えてはおらず炎をあげるのに数分とはかからなかった。いともたやすい再燃である。

    そこで博士から得た情報ではタイムレス・レーベルのCD発売が怒濤の如くで、あの終ぞ待ちわびても成らなかった Limetree のIrvin Rochlin Trio 『Quirine』が国内盤CD化されたと言う。もちろん即行で購入したことは言うまでもない。

    さて、この1980年録音のピアノトリオ盤である。あのジャズ批評『ピアノトリオ1600』にも掲載はなく、今まで言及したものと言えば同『ヨーロッパのジャズ・ディスク1800』に "しみじみとするトリオ作『Quirine』" という簡素なキャプションだけである。後年、Moonksの鎌田寛明氏により『Jazzとびきり新定番500』で紹介されるがそれまでは大きく世評に上がることはなかったと思う。

    何故にこれほど優れてセンシティブなピアノトリオ盤が今までCD化されることなく埋もれていたのか?ジャケ写の愛らしい女の子の笑顔が健気に思えるのは50歳半ばにしての初リーダー作にしてマイノリティに埋もれていたことへの感慨からであろう。

    国内盤ライナーは尊敬して止まない杉田宏樹氏の手になるが流石にエヴァンス通の氏は鋭くもロマンティックな筆致で言及する。エヴァンス74年『Intuition』にこのIrvin Rochlin作" The Nature of Things"が収録されているが、一体エヴァンスはどのような経緯でこの曲と巡り合ったのか? と問う。答えは歴史に埋もれたままと締めるが何と余韻を残すライナーであろう。

    音楽にロジカルな理屈は不要だ。ひたすら心を静めて耳とを結ぶ所爲だけを希求する。ある時はバッピッシュであるが底流する美は #6 "Little B's Poem" ( B Hutcherson )に極まる。涙を誘ってやまない演奏だ。堆積した時間の哀しみが沁水のようにつたってくるからに違いないのだ。

    是非に一聴をお勧めする。
    08:07 | トラックバック(0) | コメント(2) | 音楽/楽器別の分類 | Page Top


    ■2015/09/19(土) Long Good Bye

    長いご無沙汰になってしまった。ブログごと削除になってしまったのではと危惧したが、幸いにして在った。

    なに故のブランク?と問われればもう既に何度も記事にしたので執拗だが、答えは明白。年寄りの冷水でロード・バイクを始めたらこれに嵌ってしまったのだ。乗って間もないころ試しに山へ向かった。バイクや車で登ったことのある近所の低山である。しかし舐めてかかったのがいけなかった。バイクや車はエンジンがあるがこのロードバイクのエンジンは自らの身体。貧弱な出力のチャリンコは数百メートル登ってギブアップした。なんだか鉄の壁に突き当たった感じである。へそ曲がりな私は限界という言葉をリアルに感じながら爾来、気候にもよるが週1回くらいの割合で近くの峠を登り苦しさは快感に繋がると言うことを体で理解している(?) どうやら人間は幾つものことに集中できない仕組みらしい、以前のように頻度高く音楽を聴くことがなくなった。それでもチャリで走っているとジャズの好みの曲が頭を流れてくることが間々ある。

    さて お留守のジャズであるがこの前の休日、家人の実家に行ったついでに中古CDショップを訪ねると思わぬ拾い物をした。で、最近この盤がヘビーローテとなっている。女性ヴォーカル盤である。私的にはジャズ・ヴォーカルという区分けをしているが演奏するご当人達はユニットと言う認識らしく"The Minimum Trio"と称している。録音は2009年バルセロナ。古い盤ではないが発売から5年は経っている。勿論この盤についての情報は一切なく何時ものことであるが試聴一発でKOされ即買いした。そのトリオ、魅力的なヴォイスの歌姫(Laia Porta)にピアノ(Francesc Capella)とペット(Damon Brown)の奏者が加わるという編成でまさにミニマム。何はともあれLaia Portaという唄い手の歌声が実に好い、しっとり艶のある彼女の声質にすっかり惚れてしまった。ヴォーカル盤の優劣は声質が全てと言っても過言ではない。少しぐらい伴奏がお粗末でも唄い手さんの声質が好ければ許せるがその逆は駄目だ。如何に演奏が超一流でも唄(声質)が好みとかけ離れていてはいけない。しかしこの盤に関しては演奏も好い。しかもヴォーカルに似合うシンプルな構成。そうそう、よく見たら Jordi Vidal がミキサーを担当している。唯一彼だけ知っている。

    #1 標題曲" I'm Confessin' That I Love You" この曲と言えばモンク。ソロモンクでのモンク節が絶対的な印象をもつので他の演奏を思い浮かべることができない。しかしこの唄はその神話を覆すかも知れない。ゾクゾクするほど好い。
    #11 "Polka Dots And Moonbeams" これも好きな曲なので様々な唄を聴いてきたが、中でもなかなか好い出来の方だと思う。

    この2曲が出色か。

            
    Sep17_03.jpg
              The Minimum Trio 『I'm Confessing』
        (2009年バルセロナ録音Nomad Jazz Records NJR002)



    もう一枚。
    とりあえずジャケ写だけアップ。今日は遅いので・・・詳細は後日。

             
    Sep18_01.jpg

               Vanessa Bley 『Twin Danger』


    00:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | Vocal | Page Top


    ■2015/02/22(日) 海辺の再会盤の話

    痛めた肋骨も8割方良くなったので家の近くを自転車で周回してみた。何とか乗れそうな嬉しい感触を得る。かれこれ1ヶ月以上の休養となった訳だが季節も冬であったのが不幸中の幸い。暖かい時期であったら走れない歯痒さに苛まれたことだろう。

    過日そんな無聊をかこってデビッド・フリーゼンとダニー・ザイトリンのデュオ盤を聴いた。フリーゼンとザイトリンのデユオ盤は何枚かあり以前ブログで採りあげたのが1996年録音1999年発売『Live At The Jazz Bakery』だった。今回の紹介盤は2000年発売の『In Concert』である。ライブ音源で4カ所の会場で収録されたもの。残念ながら録音年月のクレジットが無く『Live At The Jazz Bakery』とどちらが新しい音源かは分からない。しかし切れの好さでは今回の『In Concert』に軍配が上がる。こういう音楽を聴くと決まって抱く疑問がある。"私という現象"(宮沢賢治風に…笑)はどのような音の有り様(?)に対して感動を抱くのだろうか?というものである。その構造/仕組み/現象はどうなっているのだろうかという根源的な疑問が湧いてくるのだ。それはビル・エヴァンスのフレージングのカッコ良さはどこからくるのかと同様皆目わからない。わからないとわかりたいという原動力が必要となる。最近ジャズが面白くないと後ろ向きの発言が頻りの私だが暫しそんなネガティブな状況から離脱できそうだ。

    補足:CDのジャケットはアナログのそれと比較すると軽んじられているような気がするのだが私は些かの拘りがある。で、ひとつ言い添えればこのCDジャケット、掲載のものは多分再発のものである。オリジナルのものは2人の顔がアップで写されたものであるがカビに侵食されてアマゾンの海外サイトで購入すると内容は同じだが別物が届いた。残念だ。

                
    Feb22_01.jpg
            Denny Zeitlin / David Friesen 『In Concert』
                   (Summit Records DCD265)
                      #   All Tune

    閑話休題。

    Francis Lockwood というピアニストがいる。確かな腕前のある幾分ロック寄りのピアニストの認識がある。確か弟もいてバイオリンを弾いていた記憶がある。そのフランシス・ロックウッドであるがBruno Micheliというハモニカ吹きと共演盤を1990年に作っている。淡白な筆致で描かれた海辺の風景画のジャケットが爽やかだ。大昔何の間違いか手離してしまった。以来、その盤のことが気になって仕方がない。どうにか再び入手できないものかと思っていた。何年も事あるごとに様々なチェックを入れているのだがサッパリ情報がない。ああ、やはりあの時手離さなければよかったのだという後悔の念だけが心の片隅に巣食って行った。しかし世の中は皮肉なものだ。諦めかかっていた矢先、過日普段は素通りする聖橋口のDUになんの気なしに寄ってみると、かの懐かしい海辺の崖のジャケット盤と邂逅したのである。実に**年振りの再会である。勿論直ぐに購入したのは言うまでもない。それは哀愁感に満ちたブルーノのハモニカとロックウッドの極美ピアノとが織りなす一幅のタペストリー。市場に流通しない訳がわかる。

                 
             
    Feb08_01.jpg
               Francis Lockwood / Bruno Micheli
                         『OPALE』
                   (JTB Productions JTB02) 
        

    23:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | Harmonica | Page Top


    ■2015/01/12(月) チャーリー・ヘイデン・フォーエヴァー!

    チャーリー・ヘイデンが亡くなってからどのくらいの時間が経ったろう。彼が亡くなって以来感じている違和感、喩えるなら喉の奥のどこかに小さな骨が刺さっているような感じ?。決して彼の熱心な鑑賞者ではないが新作品が永遠に聴けなくなってしまうのだと考えるとやはり寂しい。チャーリー・ヘイデンの終始一貫して変わらぬスクエア(?)な外見は直感的に音楽への真摯な姿勢を連想させる。事実彼の音楽は実直でブレがないと思う。一部の方からは変わったベーシストとの評判を聞くこともあるが然もありなん。レイ・ブラウンとは明らかに違う。判然と断っておくがR ブラウンに真摯さがないと云う意味では決してない。

    チャーリー・ヘイデンを最初に聴いたのはいつの事であったろう。キース・ジャレットの盤であったか或いは自身のリーダー盤であったか、はたまたドン・チェリー等とのフリー寄りの盤であったか・・・実に朧だ。ともかく手当たり次第ジャズを聴き始めた頃リアルタイムに聴く多くの盤に彼が参加していたのは事実だ。そしてどの演奏もチャーリー・ヘイデンであって他の誰でもなかった。それは嘗てポルシェのキャッチコピーにあった"ポルシェかポルシェ以外の車か"(かな?)と言うほど自信に満ちたものであった。つまりどの参加盤にも彼の痕跡(?)を見出すことができた。その痕跡は或る質量を有するチャーリー・ヘイデン特有の感触。その感触について上手く説明できる言葉があるなら先述の真摯さに加え独創性そして存在感と言う言葉が相応しい。

    特に私がデュオ演奏好きだからだろうか、デュオに固執するベーシストを割合に多く見受ける。その中でも彼は頭抜けている存在だ。チャーリー・ヘイデンのデュオ・フォーマットへの拘りは徹底しており数多のデュオ作品がそれを証している。またそれだけではなく様々な異ジャンルへの参加もあり常に現状に留まらることを潔しとしなかったようだ。嘗てジェームス•コットンの盤に参加しているのを知り驚いたことがあるがメインストリームからフリー、そして異ジャンルにまでその巾広さも驚異的である。

    デュオは演奏を介した"語らい"であるなどと教科書的なことを書きたくはないが或る意味真実である。時に調和的であり時に闘争的でもあり"語らい"の範疇を超えるスリルが妙味を添える。

    私たちはふと誰かと深く精神の交流を欲求するときがある。それは全く精神的な要求で一時の肉体的なそれではない。しかしその媒体が乏しいといつでも皮相的だ。それ故楽器という媒体を深く奏でられる者を羨望すること頻りなのだ。嘗て見た映画、三国志の赤壁の戦いを映画化した『レッド・クリフ』における周瑜と諸葛孔明が琴(?)を奏で合うシーンがある。演出も過ぎて陳腐ではあったが意図は理解できた。象徴的なシーンであるからこそ淡白な表現が効いただろうにと思う。

    さてクドい前置きになった。チャーリー・ヘイデンのデュオ作品、なかでも特別感動した盤を数枚紹介したい。既出の盤もあるが敢えてアップしたい。このゴツッとした重厚な感動はいつまでも変わることはない。人は死して音楽を遺す。チャーリー・ヘイデン・ フォーエヴァー!

       Jan12_01.jpg   Jan12_02.jpg   Jan12_03.jpg 
       1976年録音               1978年録音                1989年録音

      
    Jan12_04.jpg  Jan12_05.jpg  Jan12_06.jpg 
       2003年録音              2006年録音                2007年録音      

    23:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | Bass | Page Top


    ■2014/12/30(火) Lina Nyberg の熟成はいつなされたのか?

    またも またも またも(もうひとつ?)更新を怠ってしまいスポンサーの宣伝がトップに出るようになってしまった。この原因は偏に私のジャズに対する熱意の低下に外ならない。前から云っているようにジャズが然して面白くないのだ。これは面白く感じない私の問題だと思っている。しかしジャズの側に問題はないのだろうか?と幾許かは考えないこともない。何れにせよだからどうということではない。けれど私的には追求のしがいがある事象である。しかしここでは追求しない、続きはまた後日、別の場所で。

    近頃アイフォンの英単語学習アプリ(?)に嵌っている。ゲーム的な要素が多くて子供じみているが昔覚えた英単語を思い出すツールとしてはお手軽だ。受験の頃を思い出しながら忘却曲線に逆らってトライしている。少しづつだがレベルが上がると不思議なもので嬉しくなってくる。どうやら人には何らかの達成感が必要なのだろう。現在レベルA+に到達して喜んでいたがAの上にSがあるらしい、もうひと踏ん張り頑張らなくては・・・。その内にお気入りのジャズ・スタンダーズを情感込めて唄えるようになるかも知れないな。(笑)

    2、3週間ほど前になるだろうか、これがシーズン最後になるだろうとの覚悟で峠越えのサイクリングに行った。日蔭の路面の凍結が怖かったが駄目なら引き返そうと思いながら走って行ったが結局は峠を制覇してしまった。峠の小屋には2名のライダーが座って休んでいる。身体はガチガチに凍えていて上手く喋れない程だったが仲間に加わる。1名は私より高齢のデ・ローザ・ライダー、もう1名は30~40代のトレック・ライダー、それぞれ単独で来られたようだ、後に20代と思しき若いスペシャ・ライダーが加わった。これが今シーズン最後ですねと寂しそうに話していると曇った空から白いものがちらほらと落ちてくる。雪である。休むと益々身体が冷えてくる。話していたかったが直ぐさま降り始める。恐る恐る降る途中、雪は益々降ってくる。しかし民家の見える辺りまで降りて来ると不思議に跡形もなく雪は止んでおり山の天候の不思議を感じた。ガチガチに凍えた身体を温めるためにいつも立ち寄るうどん屋で暖を取った。地獄に仏とはこのことか! 嬉しい。

                       
    __ (7)    
                        ◎ 地獄に仏のうどん屋さん風景

    さて、今回はジャズ・ヴォーの話題で行きたい。

    Lina Nyberg 『Smile』 を聴いたのは数カ月前のどこぞの出張帰りのどこぞのDU。久しぶりの漁盤、たまたま試聴しその素晴らしさに驚いたのである。再三云っているがジャズ・ヴォーは・・・いやジャズはと云っても好いが・・・上手さでは決してない。味わいである。得も言えぬ滋味である。得も言えぬという喩がその奥深さを自ずと語っている。ビヨンド・ディスクリプションなのだ。

    かのLina Nyberg という名前であるが何処かで聞いたことがあるような ないような・・・恥ずかしい話、記憶にない。で早速件の盤を購入し自宅で紐解く。幾分おどろおどろしいジャケである。単純な白人ではないなと思う。グーグルで検索すると何と数枚所持している。いや所持していた。所持しているのは『Time』(2003年録音)。所持していたのは『Close』(1993年 デビュー盤)。後者は売却した記憶がある。しかもこの『Smile』(2000年録音)以降 『Time』を含め11枚ものアルバムを吹き込んでいる。『Smile』(2000年録音)以前は『Close』を含め6枚もある。都合総数で16枚もの盤を吹き込むベテランであるのだった。いやはや私はジャズ・ヴォー・ファンなどと自称出来ないな。しかしその一因はこのジャケ写(?)である。これでは同一人物か否か判別ができないだろう。他のジャケ写と別物だと言い訳したい。でも試聴したのだからねえ。。

    記憶が朧だがデビュー盤とされる1993年録音の『Close』はかのESTで高名なEsbjorn Svensson とのデュオであったが内容がイマイチ。ヴォーカルが硬質過ぎた記憶がある。それ故迷った末に手離したのだった。そして7年経て『Smile』での熟成となった・・・といえば話が簡単であるが上述通り16枚ものアルバムがある訳で、少なくとも『Close』~『Smile』の間に4枚もある。一体この熟成はいつ為されたのだろうか?・・・来年に持ち越す課題としよう。・・・いやはや持ち越しばかりだ。。

          
    Dec30#04
                Nina Nyberg 『Smile』
          (2000年録音 Prophone Records PCD055)

    余すところ今年も今日明日を残すのみとなった。
    では好いお年を・・・



    13:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | Vocal | Page Top


    ■2014/11/14(金) 深夜に聴いたピアノ・トリオ盤のこと

    ふと気付くとブログ更新もままならず又しても訳のわからないPRが出るようになっている。

    今日会社の同僚の一人が退社した。若い女性社員の部下と色々あり(所謂セクハラ?)降格人事となり社内規定により雇用継続ができずに60歳で辞めた。別れしなに社員食堂の食券をくれると云って渡された。私はカロリー過多な社員食堂は使わないけれど貰っておいた。寂しい退社である。人生は何処に何があるか判ったものじゃない。のっけから瑣末であるが重い話題、でも現実だ。

    今日はそう言う訳で少し寂しい。


    過日三日ほど徹夜に近いことをしてCD盤を選別して1000枚強の盤をDUに売った。好条件で買い取ると云うことなので普段聴かない盤を選んだ。その過程でついつい聴き込んでしまう盤が何枚かあった。その一枚がWong Wing Tsan Jazz Trio 『We In Music』であった。イヤハヤこれは凄いや!と思わず聴き惚れてしまった。

    この盤をいつ入手したのかも全く記憶にないが初期の渡り鳥(?)のイラスト・ジャケ盤が好かった記憶があるのでその前後であろう。しかし何と沁みる演奏だろうか・・・#4 "It's Never Too Late To Meet Again"などまさに泣きながら演奏しているのではと思われる。 

    欧州での活躍が多い森 泰人(確かこう書く?)の屈強で重厚なベース、市原 やすし(漢字不明?)の繊細で正確なドラミング、ウォン・ウィン・ツァン(読みいい加減?)の清冽な飛沫飛ぶピアノ・ソロ・・・どの言葉でも及ぶことのない三者による作品が静かに構築されてゆくのを唖然と眺めるだけだ。いつでも大きな感動は勝手にやってきては勝手に消えて行きその後ろ姿さえ記憶に残せない。それ故己がストーリーに乗せて味わう術しかないのだ。けれどそれも語ることはできない。

                      Nov14#01
                   
    Wong Wing Tsan Jazz Trio『We In Music』
                   (1999年録音 Satowa Music STW-7010)



    22:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | Piano | Page Top


    ■2014/09/07(日) 最近読んだ本とジャズ盤の話

    最近読んだ本の話。

    日高敏隆著『世界を、こんなふうに見てごらん』(集英社文庫) その入門書的な題名に似合わず内容が実質上のレベルを落とすことなく生きることの核心に迫っているのは彼の著作を一冊でも読んだことがある人ならばきっと理解いただけるだろう。で、その中に書かれていたことに殊更感動してしまい敢えて書いておこうと思った訳だ。日本における動物行動学の草分け的な存在である筆者は戦時下でありながらも何と今日で言う登校拒否児童であったようだ。先ずこのことに甚く感じ入った、何せ戦時中ですよ。で何をしていたのかと言うと独り生き物を観察して飽きることがなかったらしい。何故この動物(昆虫)----するのか?など根源的なことを一生懸命考えていたようで、それは後年も変わることのない基本的な姿勢となっている(と思う、きっと)。彼の著作はいつも目から鱗的な驚かされる事ばかりで実に刺激的である。例えば死んだ子猫に寄り添う親猫はそれを悲しんでいるわけではない。それが、死であることを分かっていないだけで人間を除く動物はどうやら死という概念がないらしいとか・・・。単に新たな知識に止まらず妙に心に沁みてならない。

              
    Sep07#02
            日高敏隆著 『世界を、こんなふうに見てごらん』
                         (集英社文庫

    もう一冊本の紹介。

     

    昨日は古本屋に行き北大路公子なる女性のエッセイ(?)『頭の中身が漏れ出る日々』出会った。お恥ずかしい話だが北大路公子という方は初見。その題名に魅かれ一読し一撃された。いや一撃と言うのは違うな、何とも言えぬ妙味に魅きつけられて終いには笑ってしまった。先ず堪らないのが書き出し、例えば『私の耳には小さな傷痕が二つある』と唐突な切り口で迫る。うむ、これでは完全に膝を乗り出してしまう。また別の文章では『私はそれを「人生で最もいたたまれない30秒」と名付け後世に伝える決意をした』とある。うむ、これなど膝を乗り出すどころか完全に立ち上がってしまう。一読爆笑必至、読む場所に留意しなければならない。実におバカな本(褒)である。筆者の力(酒)量に感服。

               
    Sep07#01
             北大路公子著『頭の中身が漏れ出る日々』
                              (PHP文芸文庫)  

     
    さて、本業(?)のジャズ盤の話。いつものことだが古い録音盤。

    Omer Avital の音楽を他のジャズ盤と同じ地平で眺めるのには違和感がある。彼はきっとジャズの枠組みなど何とも思っていないに違いない。彼は彼の音楽をジャズの語法の或る部分を流用して語っているに過ぎない。彼のバックグラウンドである民族的に濃厚な情動はジャズの味付けを得て万人向けの味わいを獲得した。けれどそれは決してマイルドではなくより一層の激しさと深度を増したスパイシーなものに変容したと思う。あの『Arrival』の洗礼を受けて以来 Omer Avital 参加盤に注目をしてきた。しかしシラミ潰しでコレクトしている訳ではない。今回は遡って2005年テル・アビブで録音された Rea Bar-Ness (ds)のリーダー盤に参加したAvital を発見した。トランペットにThird World Love仲間のAvishai Cohen の参加もある。民族の香りは意図せずとも相変らず深いところに沁みてくる。総体内省的な音楽に聴こえるのは何故だろう。

             Sep07#03

               Rea Bar-Ness『Remember & Forget』

                 (2005年Tel-Aviv録音 自主製作盤?)

    もう一枚。

    最近ご無沙汰のレーベルDDQから。ベーシスト:Maurizio Bucca リーダー盤『Silent Letter』。これも古い録音で2000年の作品となる。Alt &soprano Sax :Roberto Regis、Tenor Sax:Paolo Porta の2管をフロントにAntonio Zambriri (p)、Ferdinando Farao(ds)、リーダーのMaurizio Bucca(ds)からなるピアノ・トリオが伴奏。2管のアンサンブルは軽妙シャープけれど哀愁を纏い、そしてピアノの美しさがハッとするほど際立つ。これぞ真にイタリアン・ジャズ。得も言えない味わいである。ジャケ写も切なくて好い。

      

             Sep07#04

               Maurizio Bucca 『Silent Letter』
                               (2000年録音 DDQ128028-2)


    22:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | Bass | Page Top


    ■2014/07/21(月) ストイックな自転車乗りとフランク・モーガン

    梅雨どきの湿度を帯びた空気は水底にいるような気持ちにさせる。激しい夕立の雨音を聴きながら縁側に横たわっていると殊更そう思えてくる。けれど根暗な私にとってその感覚は決して嫌いなものではない。この時期雨具を忘れ突然の雨に遭った時の自虐的な楽しみ(?)も格別だ。時にずぶ濡れになるのも好い。小さな日常からの離脱/開放感とでも云える。瑣末な話だが。

    しかしことサイクリングに関しては現実的になり全くこれは該当しない。過日、道が平坦なことに気を良くして川沿いのサイクリング・ロードを江戸川辺りまで足を伸ばした。前夜の雨水が残る道を走ったおかげで自転車が泥まみれになり後のケアで大変な目にあった。爾来雨は大敵となった。

    最近の私的サイクリングの傾向は2つに大別できる。平坦なサイクリングロードを走ること、それと峠を登ること、この2つである。

    休日の今日は重い雲があるものの雨粒を落とすことはなさそうである。で、気分は峠攻め:つまり幾分攻撃的、挑戦的なモードに入った訳である。そういうことで埼玉県の山間部:秩父市の手前に位置する白石峠へ向かうことにした。白石峠はサイクリングの素人、しかも高齢(?)である私にとっては大変な難所である。しかしこの白石峠、実は昔から何度も走っているお馴染みのスポットでもある。但し最初はバイク(エンジン付二輪車の意)で、そして後にはクルマ(四輪車)で。大抵は東京天文台まで足を伸ばすのが常で当時仲間内では低山として手軽なツーリング/ドライブ・コースだったのである。しかし何らエンジンの助けもなく自らの脚力頼みで登るとなると坂のコーナーというコーナーが一斉に牙を剥く。肉体の衰えを感じるたび40歳、いや30歳若かったらと切に思う。今回も何とか峠を越えることができ制覇すること2回目となった訳だが心情的には単純に喜ぶ気分ではない。前述どおりやっとの思い、死ぬ思いで登ったのだ(笑)

    峠を攻めるのは極めてストイックな行為だと思う。心の中で9人の自分がもう体に悪いからペダルを止めて休もうと云う。しかし1人の自分がいやここで止まる訳にはいかないと強硬に云う。そして私は何故か民主主義に反して止まらずにダンシングしてでも漕ぎ続けることとなる。それは偏に断念した後の後悔が厄介なだけだ。それさえなければ直ぐ折れる心だ。限界に近付くと最早自分との戦いだ。マラソンや登山に近しいのかも知れない。いやそのものなのだろう。 決して健康には良いことではないだろう。しかし登る。

    そういうことで自転車乗りは畢竟孤独な行為である。走りながら様々なことを考える。なかでも繰り返し考えるのが、こうして走ることに何か意味はあるのか?ということである。この問いは全てのことに云い換えることができる。答えは意味がないということに落ち着くのだが。すると不思議に気が楽になったりする。

    閑話休題。

    フランク•モーガンというアルト吹きがいる。1950年代にウェストで活動しGNPから唯一のアルバムを発売し当時のお決まりのコース(?)麻薬禍で人生の大半を棒に振った。この辺はどこかアート・ペッパーに似ている。バード亡き後のアルト界の牽引を期待されたがなかなか世の中は上手くいかない。同時期にはキャノンボール・アダレーもバードの後釜を嘱望されていた。そう、バードの後釜は沢山いるのである。いやそれほどにパーカーが傑出していたということの証左であろう。

    そういう訳でフランク・モーガンの話である。

    アート・ペッパーではどちらかと云えば後期盤を贔屓にする私だが、同様モーガンも後期盤が好いと思っている。但しペッパーと違いモーガンの50年代作品は前述どおり一枚しかない。復帰は1985年頃であろうか、世間では死んだと思われていたモーガンだが『Easy Living』という盤をコンテンポラリーから出した。もちろん彼を引っ張り出した者が居るのだろうがここでは触れない。この復帰盤だがシダー・ウォルトン・トリオをバックにしていて以降コンテンポラリーにジョージ・ケイブルスやマッコイ・タイナー等と積極的に吹き込みを行っている。 そこで話が2転3転してしまうが、フランク・モーガンの場合は復帰後が復帰直後の極短期(コンテンポラリー時代)とそれ以降(アンチレス / テラーク / ハイノート時代)とに二分されるのが適当でないかと思っている。つまり1950年代のGNP盤の時代、麻薬渦の大きな空白の時代、1985年頃の復帰直後極短期の活動的なコンテンポラリー時代、そして1989年以降の内省的なアンチレス/テラーク/ハイノート時代の4つに分類できるのではないかと思っている。それでは何故に復帰後を二分するのかと疑問に思われる方のために理由を説明したい。一線を引く最大の理由は内省的な哀愁感の存在である。1989年アンチレス・レーべルに吹き込んだ『Mood Indigo』は真に彼のターニング・ポイントになった作品だと思う。以降の作品の底流にある内省的哀愁感はここにスタートしたとの持論である。

    往々にして人は作品に作者の生涯の陰影を反映させて総体を理解したと納得するところがある。その良否、正否はさておいて、同様手法をモーガンに当てはめれば、彼の人生を棒に振ったとさえ思われる麻薬渦であるが、実に復帰後期においてその悔恨は内省を経て何らかの深みを作品に与えているのではないかとさえ思えてくる。よくある解釈だが解り易い落とし所だ。年老いてからのリー・コニッツにもどこか同じ香りがする。以上聴き手側の勝手な思い込みだ。

    フランク・モーガンは残念ながら2007年に生涯を閉じた。しかし私の手元には復帰後の後期盤が宝石のような輝きをもって残されている。 特に今回は推奨に値する4枚の盤に絞りアップした。 それぞれにコメントしたいがどれも同様な言葉の羅列になってしまうだろう。内省的とか哀愁とか深みとか・・・ 

    Jul21#01   Jul21#02   Jul21#03   Jul21#04 
      
        『Mood Ingigo』      『You Must Belive In Spring』  『Listen To The Dawn』    『Love,Lost&Found』
      (1989年録音 Antilles)     (1992年録音 Antilles)    (1993年録音 Antilles)   (1995年録音 Telarc)



    05:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | Alto Sax | Page Top


    ■2014/07/10(木) 最近のお気に入りペット盤

     出張で訪れた不案内な街の喫茶店で期待することなく注文したブレンド珈琲の旨さに吃驚することがある。香り立つ風味、苦味と酸味との絶妙な調和•••優れたブレンドとは斯くも深いのだよと静かに諭してくれる一杯との出会いである。

    同様な邂逅がジャズ盤にもある。勿論ごく稀な出会いである。CDショップで数曲試聴すると突然なにかがすくっと私の内側で立ち上がる。それは釣り人の投げた鮮やに尖った"ウキ"が素早く水面で垂直を保つのに似ている。或る瞬間"ウキ"はぐっと沈み込む。魚影は不確かだが明らかな釣果の予感に胸が踊る。この感覚は真に名盤邂逅の予兆に等しい。感涙の哀愁感を纏い、時として繊細そして優美に、時に圧倒的な感動量をもって。しかし口説いようだがこのような出逢いは極稀。つまり滅多に怒らない、いや起こらない。けれど決して皆無ではない。 

    これほど稀有な盤にめぐり合う確率の低さを力説した後に確信的にして作為的なパフォーマンスだが私のお気に入り盤を紹介したい。但し、前段に記したような極めついて優れた希少盤ではない。極ありふれた盤かも知れないが甚く気に入ってしまったのである。つまり前振りはその紹介できる嬉しさの演出と思われたい。

    さて、DJAZ Records からトランペッター:Philippe Laudet のリーダー盤 『Beautiful Love』 である。DJAZ はジプシー系の音楽を扱うお気に入りのレーベルだがそれだけではないようだ。相変らず録音は古く1994年フランス、既に20年も過ぎた昔の盤となってしまった。こうして紹介するにも関わらず検索もしておらず勉強不足も甚だしいのだが他の作品:ディスコグラフィや来歴を全く知っていない。唯一バックを固めるピアノ・トリオが振っており、あのLaurent De Wildeである。彼のトリオ・フォーマット作品は数枚所持しているがこの作品のバック演奏の方が寧ろ自身のピアノ・トリオ盤よりも好ましく思える。この盤の好さの半分は彼のピアノ演奏に依る。そう云っても過言ではないと思う。

    Philippe Laudet のペットは総体解り易い演奏である。解り易いとは基本的なジャズのイデオムに沿ったという意味である。しかしありふれたという意味では決してない。#4 "Bossa pour septembre" の演奏を聴いて欲しい。何の衒いもない端正なペット演奏である。が、何故にこれほどの浸透力があるだろう?チェットのように掠れもしなければ、Wショウのように高い音域もない。表題曲一曲を除き全てオリジナルで曲作りの才もある。他作品も是非注目したい。 

               
                    
    Jul08#04                                               
                     Philippe Laudet 『Beautiful Love』
                  (1994年仏 録音 DJAZ Records DJ525-2)





          

    23:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | Trumpet | Page Top


    ■2014/07/06(日) アフリカの海~ミッシェル・ビセグリア最新作

    丸山健二の作品に『アフリカの光』と言う小説がある。今から40年ほど前に書かれた著者の初期作品だ。大昔の読書ゆえ殆どストーリーは覚えていない。しかし唯一鮮明に記憶するのは主人公が脳裏に浮かべるギラギラと光り輝くアフリカの海の映像である。このアフリカの海だが主人公が実際に目にした光景であったのか或は想像の産物であったのか余りに古いことゆえ記憶にない。多分後者だったと思う。また、映像と言ったのは確か映画化もされ原作(小説)のイメージと映画のシーンとが私の内で渾然となっているためだ。

    爾来極めて個人的な見解だがきっと誰にでもそう言う"アフリカの海"的なものがあるに違いないと思っている。

    私たちは日々の生活のなかで金属疲労のように疲弊する。幸せな日常も幸せでない日常もその繰り返しを繰り返すことに飽く。斯く厭いだ生活の中である情景を想う。それは日常からの飛翔を可能にする特別な場所である。そして想いは変容し、いつしか到達すべき目的地と化し遂には絶対的な場所へと神格化(?)される。

    私にとっての"アフリカの海"とは一体どこなのだろうか?•••未だおぼろげな想いのままで具象できないでいる。

    さて本日の1枚である。

    特別なピアニストがいる。名前を列挙すると沢山いて特別とは言えなくなるので止めるが今回のピアニスト:Michel Biscegliaはその重要な一画を占めるのは間違いがない。初期の作品から今回の最新作に至るまでその奥底に流れる変わらぬ美意識に心打たれる。宛らコロコロとモデル・チェンジの度に他車の姿をまねコンセプトを変える国産車の変節を前に何十年も不変のコンセプトを貫きながらも進化/深化を続けるドイツ車の姿と深いところでオーバー・ラップする。彼のピアノは直截的に美しく余りに判り易いところから一級低く見られることがあるがそういう愚かな風潮は速やかに去ってくれるがいい。アイフォンに収録する際に捨て曲が殆どないと云うのは驚異的なことである。しかも初期盤から最新作に至るまで全てにおいてである。一音一音の末端までに浸透する儚い美意識が只管美しくある種日本的でもある。

    大方のピアニストがそうなので今更取り立て言及すべきではないのだろうが敢えて言うと彼は明らかにエヴァンス、キース双方のハイブリッド的な所産と思われる。 ビセグリア≒(エヴァンス+キース)÷2 の等式が成り立つ。そのような確信に至ったのは今回の紹介盤『Singularity』に収録されたB.トゥループの名曲"Meaning Of The Blues"を聴き、キースのそれ(『スタンダーズVol.1』収録)と比較できたからである。乱暴な結論を言えばエヴァンスがこの曲を弾いたらこんな感じになるのではないかと思われる。また別な言い方をすればビセグリアがこの曲をエバンスが弾くとこんな感じかなぁとの想いで弾いたのでは(?)と我田引水的に考えたりもできる。キースよりは淡白平坦にして粘着力を低めメロディの解体で浮遊感を与えた演奏にはエバンスのパースペクティブが窺え感動的だ。

    下世話な話だがこの盤の体裁はどうなっているのだろう?

    『Singularity』デザインの外箱の中に『Singularity』と『My Ideal』 の2枚のデジパックが入っている。各盤はそれぞれ独自で発売されても何ら問題のないほど完成度が高い。二つのコンセプト盤であることを主張したかったのだろうか。もしそうであるなら成程と思う。それにつけて思い出すのが近年発売されたキースとヘイドンのデュオ盤である。これにはデュオ・マニアを自任する私としては些か落胆を覚えたが(新録ではなく明らかに前作の撰にもれたものの編集盤ではないか?と疑ってしまう)それと比較しても一線を画す立派なものだ。


            
    Jul05#01                    Jul05#02
                Michel Bisceglia Trio                     Michel Bisceglia Trio 
                  『Singularity』                             『My Ideal』
         (2013年録音Prova Records PR1401-CD22)      (2013年録音Prova Records PR1401-CD23)









    10:27 | トラックバック(0) | コメント(4) | Piano | Page Top


    ■2014/06/10(火) ピアノ・トリオ 極上の一曲

    ピアノ・トリオの奏するマイ・フェイバリッツ・チューン。今日はそのこだわりの逸品(?)について書きたい。

    誰かれも美しい哀愁の調べを好しとする訳ではないのを承知で敢えて断言するがピアノ演奏で感動を与える主要素は極めた美と哀愁感とである。少なくともこの2者がないものに深い感銘を受けた試しがない。

    ところで美とはなにか? 哀愁感とはなんぞや? ・・・これは根源的問題だがここでは触れずに話を進めたい。最終的には個人に収束する問題 だと思っている。

    エンリコ・ピエラヌンツィ自作演奏する"With My Heart In A Song"は突出した一曲である。これは彼のピアノ・トリオ作品のVol.3にあたる1991年録音『Triologues』に収録されている。エンリコの盤は一般的にオリジナル曲が多いがこのVol.3はどう言うわけか綺羅星のスタンダーズ揃いである。穏健派の私(笑)にとっては狂喜乱舞盤なのである。で、そんな並み居るスタンダーズの名曲を差し置いてこのエンリコ・オリジナル"With My Heart In A Song"は素晴らしい。その素晴らしさはどのエンリコ演奏のなかでも、いや遍くジャズ・ピアノ・トリオ演奏のなかでも、と大風呂敷を広げても言い過ぎることはない。奏者から伝わってくるヴァイブレーションは何度聴いても心を絞るような切ない気持ちにさせる。これぞ真のピアノ・トリオ演奏を代表する名曲/名演である。哀愁のテーマ数秒でこの曲の素姓の良さを確信する。そしてヴァリエーションに導かれ開始から2分にさしかかるあたりから愁いの情感は至高の境地を迎える。この哀愁感の件でほぼ私の様な単純な精神構造の者はノックアウトの運びとなる。

    そして片やのフェイバリッツ・ピアニストが
    ティエリー・ラングである。彼は今年の初旬 大雪の中ライブを聴きに行ったばかりである。エンリコが東の横綱なら西の横綱はティエリー・ラング。回数が知れないほど繰り返し聴く名曲/名演:"Moon Princess"は2003年ブルー・ノートに吹き込まれた『Reflections Volume1』というアルバムに収録されている。この盤は幾つか異なったジャケでの発売があるようだ。この曲も美しいテーマをもった作品でそのヴァリエーションに奏されるティエリーのソロが儚くも哀愁的である・・・ああ哀しいかなこれも千日手の様な表現となってしまう。月の女王と言えばかぐや姫のことであろうか?ティエリーがその物語を知っての上で書いたのであれば私の中で想起される映像とのマッチングの精度は極めて高いものとなる。聴く度に泣ける。

    そしてもう一人忘れてはいけないピアニストがいる。Stefano Battagliaである。エヴァンスやキースからの影響を云々されるが一体現存(?)するジャズピアニストで影響を受けていない者がいるのだろうか、いやいまい。そして彼の敬愛するエヴァンス・コンポジションから私的にはどのエヴァンスの演奏よりも激しく心揺さぶられる演奏が『Bill Evans Composition Vol.1』 に収録された "A Simple Matter Conviction" である。この湿度ある哀愁感は心の襞の奥底まで沁みてくる。一体これほどの感動量をもった演奏が何処にあると云うのか、いやどこにもない。唯々言葉をうしなうばかりだ。




    20:35 | トラックバック(0) | コメント(1) | Piano | Page Top


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