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    ■2014/09/24(水) 初秋の山頂にて

    涼しさに後押しされ山頂を極めると真夏日とは異なる優しい陽光の風景が眼下に広がる。

    陰りゆく山々が幾重にも濃淡を連ね視線を超えて遥かに消えてゆく。 

    暮色の中ただただ言葉を失い愛車と佇んでいる。 

                                                     __ (22)    
                                 見晴らし台からずっと             


    23:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | Photo | Page Top


    ■2014/09/11(木) 美しくも勇敢な女性ライダーの話など

    今回は無知は恐ろしいぞと云う話、或いは美しくも勇敢な女性ライダーの話、また臆病な私の告白話でもある(笑)

    先週の休日は秩父をぐるっと一周した。勿論自転車に乗ってである。帰りは正丸峠を越えて帰るつもりでいたのだが・・・その時の話である。

    大昔となるが正丸峠は大改装(?)の末道路は真っ直ぐになりトンネルも開通した。何年か前、芝桜を見に車(自動車)で秩父へ出かけたがその道路の変わり様に驚いたものだ。嘗ての正丸峠は狭い凸凹道路が人家の軒を擦るようにクネクネと走っておりこれが国道か?という代物であった。

    さて話は本筋に戻る。

    自転車で秩父の街を走る頃から上空に怪しい雲が出てきた。気温も下がり夕立の襲来を予感させた。これは急いで帰らねばと一路正丸峠へ向かう。その頃から何故か増えてきた大型トラックの通行量も気になり始める。整備された正丸峠であったがそれ故大型車両の通行が増えたのだろうか。自転車ライダーにとって大型車両は点滴、いや天敵である。普段は車道を走るのだが止む無く歩道を走る。心配は正丸トンネルである。トンネル内にこのまま歩道が確保されているのだろうか?いやそれよりも自転車の通行が禁止されていないだろうか?もし通行できないとなると今まで走って来た国道140号を戻るかどこかの峠を超えて帰らねばならない。寄居町から秩父市を通過する国道140号は幾区間か自転車通行禁止の場所があった。あの道をまたもや引き返すと思うと気が重い。また今更の峠越えは体力的にも限界だ。加えて夕立の予感が濃厚。実にイヤハヤな状況に立たされてしまった訳である。しかもその日は同じ方向へ向かう自転車ライダーの姿が1人として見当たらない・・・。

    正丸トンネルに近づくと歩道に2人の女性ライダーの姿が見えた。自転車を止め眼下に流れる川の風景を見下ろしている。その姿はまさに地獄に仏であった。彼女等に挨拶をかわして更に進む。トンネル付近に自転車通行禁止の規制標識は見当たらない。どうやらこのトンネルは自転車の通行を禁止していないようだ。しかしトンネル内の歩道は人が歩くのがやっとの幅である。しかも車道の幅員は大型車の通行が精いっぱいの感じである。えいままよと後方の車両を確認しトンネル内の車道に入る、行くしかない。坑内の暗さとサングラスであたりの視界はなお暗い。LEDの玩具のような前照灯では歯が立たない。足元は雨水か地下水かで湿っている。それらの情報どれもが身の危険の赤信号を激しく点滅させている。思わず自転車を降り我が身だけ歩道へ上げる。これは歩くしかないのか?と思い暗澹と歩を進め逡巡していた、その時、物凄い勢いで2台の自転車が疾走して行った。先ほどの2人の女性ライダーだ。えっ走るのか! という驚き。いやそれは感動であったかも知れない。瞬間思わず私も自転車に飛び乗り後を追う。凄まじい速度である。後続の車が来ないことを願い、いやその車両と等速になることを願い速度を増す。この方法しかないと確信した。短いトンネルは直ぐに出口が見えた。ふたつ目のトンネルは幾分長い。3台の自転車は何かに追われる様に疾走した。1台の車にも抜かれることなくトンネルを抜ける。どうやら危機は回避した様だ。

    トンネルを抜けても相変わらず空は重い。いつ降ってもおかしく無い状況である。彼女らも雨を避けたいのだろう、私たちはその速度を落とすことなく走った。どのくらい一緒に走っただろう、私は岐路の信号を左に折れ彼女等と手を振って別れたのだった。

    それにしても命知らずな姉ちゃん達だぜ! その勇敢さに感動してしまった。女は愛嬌ではなく度胸と言うのは正しい。情けないが私にはあれだけの決断力(?)は無い。

    後日談。

    後日 峠で会ったライダーに話しを伺うと正丸峠はトンネル手前に旧道があり迂回回避できるとのこと。あのトンネルは自転車では危険ですと教えられた。

    それにしても彼女らのしなやかな脚力の走りは感動的に美しかったな・・・きっとケイデンスと速度は相当数に達していただろう。でもあのトンネルは2度と走らないゾッと。

    12:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | Cycling | Page Top


    ■2014/09/07(日) 最近読んだ本とジャズ盤の話

    最近読んだ本の話。

    日高敏隆著『世界を、こんなふうに見てごらん』(集英社文庫) その入門書的な題名に似合わず内容が実質上のレベルを落とすことなく生きることの核心に迫っているのは彼の著作を一冊でも読んだことがある人ならばきっと理解いただけるだろう。で、その中に書かれていたことに殊更感動してしまい敢えて書いておこうと思った訳だ。日本における動物行動学の草分け的な存在である筆者は戦時下でありながらも何と今日で言う登校拒否児童であったようだ。先ずこのことに甚く感じ入った、何せ戦時中ですよ。で何をしていたのかと言うと独り生き物を観察して飽きることがなかったらしい。何故この動物(昆虫)----するのか?など根源的なことを一生懸命考えていたようで、それは後年も変わることのない基本的な姿勢となっている(と思う、きっと)。彼の著作はいつも目から鱗的な驚かされる事ばかりで実に刺激的である。例えば死んだ子猫に寄り添う親猫はそれを悲しんでいるわけではない。それが、死であることを分かっていないだけで人間を除く動物はどうやら死という概念がないらしいとか・・・。単に新たな知識に止まらず妙に心に沁みてならない。

              
    Sep07#02
            日高敏隆著 『世界を、こんなふうに見てごらん』
                         (集英社文庫

    もう一冊本の紹介。

     

    昨日は古本屋に行き北大路公子なる女性のエッセイ(?)『頭の中身が漏れ出る日々』出会った。お恥ずかしい話だが北大路公子という方は初見。その題名に魅かれ一読し一撃された。いや一撃と言うのは違うな、何とも言えぬ妙味に魅きつけられて終いには笑ってしまった。先ず堪らないのが書き出し、例えば『私の耳には小さな傷痕が二つある』と唐突な切り口で迫る。うむ、これでは完全に膝を乗り出してしまう。また別の文章では『私はそれを「人生で最もいたたまれない30秒」と名付け後世に伝える決意をした』とある。うむ、これなど膝を乗り出すどころか完全に立ち上がってしまう。一読爆笑必至、読む場所に留意しなければならない。実におバカな本(褒)である。筆者の力(酒)量に感服。

               
    Sep07#01
             北大路公子著『頭の中身が漏れ出る日々』
                              (PHP文芸文庫)  

     
    さて、本業(?)のジャズ盤の話。いつものことだが古い録音盤。

    Omer Avital の音楽を他のジャズ盤と同じ地平で眺めるのには違和感がある。彼はきっとジャズの枠組みなど何とも思っていないに違いない。彼は彼の音楽をジャズの語法の或る部分を流用して語っているに過ぎない。彼のバックグラウンドである民族的に濃厚な情動はジャズの味付けを得て万人向けの味わいを獲得した。けれどそれは決してマイルドではなくより一層の激しさと深度を増したスパイシーなものに変容したと思う。あの『Arrival』の洗礼を受けて以来 Omer Avital 参加盤に注目をしてきた。しかしシラミ潰しでコレクトしている訳ではない。今回は遡って2005年テル・アビブで録音された Rea Bar-Ness (ds)のリーダー盤に参加したAvital を発見した。トランペットにThird World Love仲間のAvishai Cohen の参加もある。民族の香りは意図せずとも相変らず深いところに沁みてくる。総体内省的な音楽に聴こえるのは何故だろう。

             Sep07#03

               Rea Bar-Ness『Remember & Forget』

                 (2005年Tel-Aviv録音 自主製作盤?)

    もう一枚。

    最近ご無沙汰のレーベルDDQから。ベーシスト:Maurizio Bucca リーダー盤『Silent Letter』。これも古い録音で2000年の作品となる。Alt &soprano Sax :Roberto Regis、Tenor Sax:Paolo Porta の2管をフロントにAntonio Zambriri (p)、Ferdinando Farao(ds)、リーダーのMaurizio Bucca(ds)からなるピアノ・トリオが伴奏。2管のアンサンブルは軽妙シャープけれど哀愁を纏い、そしてピアノの美しさがハッとするほど際立つ。これぞ真にイタリアン・ジャズ。得も言えない味わいである。ジャケ写も切なくて好い。

      

             Sep07#04

               Maurizio Bucca 『Silent Letter』
                               (2000年録音 DDQ128028-2)


    22:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | Bass | Page Top


    ■2014/08/01(金) 黄昏に走る

    出張先の街をあてどなく散歩していると大きな川にゆき当たった。大きな川には大きな橋が架かり50mほど海側に鉄橋が並んで走っている。鉄橋を渡る列車は紅色の塗装を飴のように艶やかに延ばして走って行く。その紅色に室内の灯りが黄金色のラインを添える。ちょうど夕方のラッシュ時であろうか数本の列車が続けざまに過ぎるのを惚けて見ていた。試しにアイフォンのシャッターを切ると思いがけなくイメージどおりの絵が撮れた。夕暮れの暗さが増してより深みのある紅色となった。これは嬉しい偶然だ。   

         __ (17)  __ (4) __ (5) 
                 鉄橋1                   鉄橋2               鉄橋3       
     


    21:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | Photo | Page Top


    ■2014/07/21(月) ストイックな自転車乗りとフランク・モーガン

    梅雨どきの湿度を帯びた空気は水底にいるような気持ちにさせる。激しい夕立の雨音を聴きながら縁側に横たわっていると殊更そう思えてくる。けれど根暗な私にとってその感覚は決して嫌いなものではない。この時期雨具を忘れ突然の雨に遭った時の自虐的な楽しみ(?)も格別だ。時にずぶ濡れになるのも好い。小さな日常からの離脱/開放感とでも云える。瑣末な話だが。

    しかしことサイクリングに関しては現実的になり全くこれは該当しない。過日、道が平坦なことに気を良くして川沿いのサイクリング・ロードを江戸川辺りまで足を伸ばした。前夜の雨水が残る道を走ったおかげで自転車が泥まみれになり後のケアで大変な目にあった。爾来雨は大敵となった。

    最近の私的サイクリングの傾向は2つに大別できる。平坦なサイクリングロードを走ること、それと峠を登ること、この2つである。

    休日の今日は重い雲があるものの雨粒を落とすことはなさそうである。で、気分は峠攻め:つまり幾分攻撃的、挑戦的なモードに入った訳である。そういうことで埼玉県の山間部:秩父市の手前に位置する白石峠へ向かうことにした。白石峠はサイクリングの素人、しかも高齢(?)である私にとっては大変な難所である。しかしこの白石峠、実は昔から何度も走っているお馴染みのスポットでもある。但し最初はバイク(エンジン付二輪車の意)で、そして後にはクルマ(四輪車)で。大抵は東京天文台まで足を伸ばすのが常で当時仲間内では低山として手軽なツーリング/ドライブ・コースだったのである。しかし何らエンジンの助けもなく自らの脚力頼みで登るとなると坂のコーナーというコーナーが一斉に牙を剥く。肉体の衰えを感じるたび40歳、いや30歳若かったらと切に思う。今回も何とか峠を越えることができ制覇すること2回目となった訳だが心情的には単純に喜ぶ気分ではない。前述どおりやっとの思い、死ぬ思いで登ったのだ(笑)

    峠を攻めるのは極めてストイックな行為だと思う。心の中で9人の自分がもう体に悪いからペダルを止めて休もうと云う。しかし1人の自分がいやここで止まる訳にはいかないと強硬に云う。そして私は何故か民主主義に反して止まらずにダンシングしてでも漕ぎ続けることとなる。それは偏に断念した後の後悔が厄介なだけだ。それさえなければ直ぐ折れる心だ。限界に近付くと最早自分との戦いだ。マラソンや登山に近しいのかも知れない。いやそのものなのだろう。 決して健康には良いことではないだろう。しかし登る。

    そういうことで自転車乗りは畢竟孤独な行為である。走りながら様々なことを考える。なかでも繰り返し考えるのが、こうして走ることに何か意味はあるのか?ということである。この問いは全てのことに云い換えることができる。答えは意味がないということに落ち着くのだが。すると不思議に気が楽になったりする。

    閑話休題。

    フランク•モーガンというアルト吹きがいる。1950年代にウェストで活動しGNPから唯一のアルバムを発売し当時のお決まりのコース(?)麻薬禍で人生の大半を棒に振った。この辺はどこかアート・ペッパーに似ている。バード亡き後のアルト界の牽引を期待されたがなかなか世の中は上手くいかない。同時期にはキャノンボール・アダレーもバードの後釜を嘱望されていた。そう、バードの後釜は沢山いるのである。いやそれほどにパーカーが傑出していたということの証左であろう。

    そういう訳でフランク・モーガンの話である。

    アート・ペッパーではどちらかと云えば後期盤を贔屓にする私だが、同様モーガンも後期盤が好いと思っている。但しペッパーと違いモーガンの50年代作品は前述どおり一枚しかない。復帰は1985年頃であろうか、世間では死んだと思われていたモーガンだが『Easy Living』という盤をコンテンポラリーから出した。もちろん彼を引っ張り出した者が居るのだろうがここでは触れない。この復帰盤だがシダー・ウォルトン・トリオをバックにしていて以降コンテンポラリーにジョージ・ケイブルスやマッコイ・タイナー等と積極的に吹き込みを行っている。 そこで話が2転3転してしまうが、フランク・モーガンの場合は復帰後が復帰直後の極短期(コンテンポラリー時代)とそれ以降(アンチレス / テラーク / ハイノート時代)とに二分されるのが適当でないかと思っている。つまり1950年代のGNP盤の時代、麻薬渦の大きな空白の時代、1985年頃の復帰直後極短期の活動的なコンテンポラリー時代、そして1989年以降の内省的なアンチレス/テラーク/ハイノート時代の4つに分類できるのではないかと思っている。それでは何故に復帰後を二分するのかと疑問に思われる方のために理由を説明したい。一線を引く最大の理由は内省的な哀愁感の存在である。1989年アンチレス・レーべルに吹き込んだ『Mood Indigo』は真に彼のターニング・ポイントになった作品だと思う。以降の作品の底流にある内省的哀愁感はここにスタートしたとの持論である。

    往々にして人は作品に作者の生涯の陰影を反映させて総体を理解したと納得するところがある。その良否、正否はさておいて、同様手法をモーガンに当てはめれば、彼の人生を棒に振ったとさえ思われる麻薬渦であるが、実に復帰後期においてその悔恨は内省を経て何らかの深みを作品に与えているのではないかとさえ思えてくる。よくある解釈だが解り易い落とし所だ。年老いてからのリー・コニッツにもどこか同じ香りがする。以上聴き手側の勝手な思い込みだ。

    フランク・モーガンは残念ながら2007年に生涯を閉じた。しかし私の手元には復帰後の後期盤が宝石のような輝きをもって残されている。 特に今回は推奨に値する4枚の盤に絞りアップした。 それぞれにコメントしたいがどれも同様な言葉の羅列になってしまうだろう。内省的とか哀愁とか深みとか・・・ 

    Jul21#01   Jul21#02   Jul21#03   Jul21#04 
      
        『Mood Ingigo』      『You Must Belive In Spring』  『Listen To The Dawn』    『Love,Lost&Found』
      (1989年録音 Antilles)     (1992年録音 Antilles)    (1993年録音 Antilles)   (1995年録音 Telarc)



    05:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | Alto Sax | Page Top


    ■2014/07/10(木) 最近のお気に入りペット盤

     出張で訪れた不案内な街の喫茶店で期待することなく注文したブレンド珈琲の旨さに吃驚することがある。香り立つ風味、苦味と酸味との絶妙な調和•••優れたブレンドとは斯くも深いのだよと静かに諭してくれる一杯との出会いである。

    同様な邂逅がジャズ盤にもある。勿論ごく稀な出会いである。CDショップで数曲試聴すると突然なにかがすくっと私の内側で立ち上がる。それは釣り人の投げた鮮やに尖った"ウキ"が素早く水面で垂直を保つのに似ている。或る瞬間"ウキ"はぐっと沈み込む。魚影は不確かだが明らかな釣果の予感に胸が踊る。この感覚は真に名盤邂逅の予兆に等しい。感涙の哀愁感を纏い、時として繊細そして優美に、時に圧倒的な感動量をもって。しかし口説いようだがこのような出逢いは極稀。つまり滅多に怒らない、いや起こらない。けれど決して皆無ではない。 

    これほど稀有な盤にめぐり合う確率の低さを力説した後に確信的にして作為的なパフォーマンスだが私のお気に入り盤を紹介したい。但し、前段に記したような極めついて優れた希少盤ではない。極ありふれた盤かも知れないが甚く気に入ってしまったのである。つまり前振りはその紹介できる嬉しさの演出と思われたい。

    さて、DJAZ Records からトランペッター:Philippe Laudet のリーダー盤 『Beautiful Love』 である。DJAZ はジプシー系の音楽を扱うお気に入りのレーベルだがそれだけではないようだ。相変らず録音は古く1994年フランス、既に20年も過ぎた昔の盤となってしまった。こうして紹介するにも関わらず検索もしておらず勉強不足も甚だしいのだが他の作品:ディスコグラフィや来歴を全く知っていない。唯一バックを固めるピアノ・トリオが振っており、あのLaurent De Wildeである。彼のトリオ・フォーマット作品は数枚所持しているがこの作品のバック演奏の方が寧ろ自身のピアノ・トリオ盤よりも好ましく思える。この盤の好さの半分は彼のピアノ演奏に依る。そう云っても過言ではないと思う。

    Philippe Laudet のペットは総体解り易い演奏である。解り易いとは基本的なジャズのイデオムに沿ったという意味である。しかしありふれたという意味では決してない。#4 "Bossa pour septembre" の演奏を聴いて欲しい。何の衒いもない端正なペット演奏である。が、何故にこれほどの浸透力があるだろう?チェットのように掠れもしなければ、Wショウのように高い音域もない。表題曲一曲を除き全てオリジナルで曲作りの才もある。他作品も是非注目したい。 

               
                    
    Jul08#04                                               
                     Philippe Laudet 『Beautiful Love』
                  (1994年仏 録音 DJAZ Records DJ525-2)





          

    23:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | Trumpet | Page Top


    ■2014/07/06(日) アフリカの海~ミッシェル・ビセグリア最新作

    丸山健二の作品に『アフリカの光』と言う小説がある。今から40年ほど前に書かれた著者の初期作品だ。大昔の読書ゆえ殆どストーリーは覚えていない。しかし唯一鮮明に記憶するのは主人公が脳裏に浮かべるギラギラと光り輝くアフリカの海の映像である。このアフリカの海だが主人公が実際に目にした光景であったのか或は想像の産物であったのか余りに古いことゆえ記憶にない。多分後者だったと思う。また、映像と言ったのは確か映画化もされ原作(小説)のイメージと映画のシーンとが私の内で渾然となっているためだ。

    爾来極めて個人的な見解だがきっと誰にでもそう言う"アフリカの海"的なものがあるに違いないと思っている。

    私たちは日々の生活のなかで金属疲労のように疲弊する。幸せな日常も幸せでない日常もその繰り返しを繰り返すことに飽く。斯く厭いだ生活の中である情景を想う。それは日常からの飛翔を可能にする特別な場所である。そして想いは変容し、いつしか到達すべき目的地と化し遂には絶対的な場所へと神格化(?)される。

    私にとっての"アフリカの海"とは一体どこなのだろうか?•••未だおぼろげな想いのままで具象できないでいる。

    さて本日の1枚である。

    特別なピアニストがいる。名前を列挙すると沢山いて特別とは言えなくなるので止めるが今回のピアニスト:Michel Biscegliaはその重要な一画を占めるのは間違いがない。初期の作品から今回の最新作に至るまでその奥底に流れる変わらぬ美意識に心打たれる。宛らコロコロとモデル・チェンジの度に他車の姿をまねコンセプトを変える国産車の変節を前に何十年も不変のコンセプトを貫きながらも進化/深化を続けるドイツ車の姿と深いところでオーバー・ラップする。彼のピアノは直截的に美しく余りに判り易いところから一級低く見られることがあるがそういう愚かな風潮は速やかに去ってくれるがいい。アイフォンに収録する際に捨て曲が殆どないと云うのは驚異的なことである。しかも初期盤から最新作に至るまで全てにおいてである。一音一音の末端までに浸透する儚い美意識が只管美しくある種日本的でもある。

    大方のピアニストがそうなので今更取り立て言及すべきではないのだろうが敢えて言うと彼は明らかにエヴァンス、キース双方のハイブリッド的な所産と思われる。 ビセグリア≒(エヴァンス+キース)÷2 の等式が成り立つ。そのような確信に至ったのは今回の紹介盤『Singularity』に収録されたB.トゥループの名曲"Meaning Of The Blues"を聴き、キースのそれ(『スタンダーズVol.1』収録)と比較できたからである。乱暴な結論を言えばエヴァンスがこの曲を弾いたらこんな感じになるのではないかと思われる。また別な言い方をすればビセグリアがこの曲をエバンスが弾くとこんな感じかなぁとの想いで弾いたのでは(?)と我田引水的に考えたりもできる。キースよりは淡白平坦にして粘着力を低めメロディの解体で浮遊感を与えた演奏にはエバンスのパースペクティブが窺え感動的だ。

    下世話な話だがこの盤の体裁はどうなっているのだろう?

    『Singularity』デザインの外箱の中に『Singularity』と『My Ideal』 の2枚のデジパックが入っている。各盤はそれぞれ独自で発売されても何ら問題のないほど完成度が高い。二つのコンセプト盤であることを主張したかったのだろうか。もしそうであるなら成程と思う。それにつけて思い出すのが近年発売されたキースとヘイドンのデュオ盤である。これにはデュオ・マニアを自任する私としては些か落胆を覚えたが(新録ではなく明らかに前作の撰にもれたものの編集盤ではないか?と疑ってしまう)それと比較しても一線を画す立派なものだ。


            
    Jul05#01                    Jul05#02
                Michel Bisceglia Trio                     Michel Bisceglia Trio 
                  『Singularity』                             『My Ideal』
         (2013年録音Prova Records PR1401-CD22)      (2013年録音Prova Records PR1401-CD23)









    10:27 | トラックバック(0) | コメント(4) | Piano | Page Top


    ■2014/06/24(火) コレクターの憂鬱と希望と

    読みもしない本、また聴きもしないジャズCDに存在価値があるのだろうか?

    これこそ私のインドア(?)趣味、読書とジャズ鑑賞とに抱えている解決すべき問題:課題だ。

    家人はこの双方のコレクションについて私以上にシビアに疑問視しており・・・つまり読みもしない本、聴きもしないCDに意味があるのか? つまり意味はないのでもうこれ以上買わないで欲しいとの旨を言う。

    家人曰く 人の一日は24時間、自由な時間は1/3もない。その時間にその本とCDは読んで聴く暇があるのか?と 。老後の趣味に必要なのだというと老後に必要なのはお金だと宣う。実に現実的である。なるほどこれには大いに説得力があるし納得せざるを得ないものがある。

    しかしなおもコレクションは増えて行く。最早病気ではとの意見もある。もちろん家人からだ。

    これらの真っ当な考えかたに拮抗しうる考え方があるだろうか?

    私が唯一の拠り所とするのは心の余裕についてである。なにごとも余剰が必要なのだ。自動車のハンドルに遊びが必要なように、ホテルのロビーに不要なまでの広い空間が必要なように、建設区画に緑地帯が必要なように、余分と思われるものにも何かその必要性があるのだ。言わば心の余裕の象徴的なものなのだと。伸び代のない人間は駄目なのだと。・・・けれどこれらは一蹴の屁理屈、理論の飛躍と破綻の指弾は必定。遂に理解されることはないのか? いやはやである…

    戯言はさておいて、最近盤紹介がお留守になっているのでこれはという一枚を紹介したい。

    Albert Bover は『Live In Jamboree』以来そのテクニックとセンスに惚れ込んだピアニストのひとりだ。しらみつぶし的とまでにはゆかないが彼の参加盤は目に付けば極力購入するようにしている。

    で、最近入手した盤がある。過日某ユニオンを漁っているとベーシスト:Miguel Angel Chastang のリーダー・ユニット (?):From Harlem To Madrid に偶然にも Alber Bover 参加のクレジットを発見したのだ。恥ずかしい話ながらその様なグループを耳にするのは初めて。で、帰宅して早速検索すると既にグループとして5枚の盤を発表している。内2枚にボヴァーが参加しているようだ。面子がフレキシブルなのか固定的なレギュラーは少数で他は変動が多いようだ。

    そして今回はその盤:Miguel Angel Chastang "From Harlem To Madrid" Vol.4 『The Real Thing』(2011年スペイン / マドリッド録音)に感動してしまったという話である。

    この盤、基本的に2管をフロントに配した編成が中心だが2曲のみシンプルな演奏が含まれる。ピアノ・トリオ演奏とピアノ&ベース演奏が各1曲づつ。これ等は珠玉と呼ぶに相応しい名演である。#3 ボヴァーの鮮度の高いピアノ・ソロがひときわ輝くショーターの名作"Black Eyes"、これはピアノ・トリオで、そして#6 スタンダーズの中のスタンダーズ"My One And Only Love" はデュオ演奏で。嘗てこれ程の名演ありきやとの思いに駆られる演奏の妙。"Black Eyes" でのボヴァーの軽妙さと"My One And Only Love" での絹糸のようなソロの眩しさと。乱暴な言い方だがこの2曲だけでもこの盤の購入価値はあるだろう。プラスチック・ケースにスリーブが付くという豪華さ。インナージャケとスリーブは別の体裁となっていて私的にはスリーブの方が好みなので写真はそちらを掲載する。こういう盤だらけなら好いのだが・・・

                          
    Jun24#01   
                                Miguel Angel Chastang "From Harlem To Madrid" Vol.4 
                                                           『The Real Thing』 
                               (2011年スペイン / マドリッド録音  Nuba Records KAR7832)
                                 
                                      





    23:03 | トラックバック(0) | コメント(4) | Duo | Page Top


    ■2014/06/24(火) 新幹線雑記

    苦心の末入手した盤がいつも我が心に住まう愛聴盤にまで成育することは残念ながら稀である。 希少性と嗜好とがイコールとなる公算は皆無ではないが極めて低いのだ。それは多くの歴史的名盤が愛聴盤になりえない図式とよく似ている。そして入手時の昂りを頂点とする心の振幅の辿る放物線はどれも似通った曲線を描く。

    廃盤という希少性を担保しながらも深く鮮烈な感動を伴う盤こそがダイヤの如き輝きを放つ。 これぞ真に幻の名盤の呼称が相応しい。 勿論ここで言う鮮烈な感動は計測もできないし極めて私的で客観性がなく独りよがりだ。 こうした自己満足の件は幾度も記しているので省略。

    最終的に斯く思い入れの盤に何枚めぐり合う事ができるのか、また所持する事ができるのか、大方のコレクターが目指すところであろう。
     
    しかしそれにもまして究極の喜びはある。 殆ど市場では取り沙汰されることもない忘れ去られている盤に正当な(?)評価を与えることだ。しかしここで言う正当という定義は極めて難しい。又しても個人的な嗜好に収斂されるのでこの件もこれ以上触れない。
     
    嘗てある雑誌が掘り起こし云々と称して埋れた優れ盤を紹介したことがあった。これと趣旨は同様だが違いがあるとすれば、①商売っ気がないこと ②組織的でないこと この二つだろう。つまりは一個人としての掘り起こし作業ということ、掘削機でなく鋤鍬で、そして収穫物は自らであじわう。汗が調味料になり幾分手前ミソになるのは人情だろう。
     
    話の整理がついた様だ。

    今更のことを紹介する愚かしさに呆れながら私を乗せる新幹線が今東京駅に到着しようとしている。

    さあ、ジャズ東京が待っている(笑)

    18:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽以外/その他の分類 | Page Top


    ■2014/06/10(火) ピアノ・トリオ 極上の一曲

    ピアノ・トリオの奏するマイ・フェイバリッツ・チューン。今日はそのこだわりの逸品(?)について書きたい。

    誰かれも美しい哀愁の調べを好しとする訳ではないのを承知で敢えて断言するがピアノ演奏で感動を与える主要素は極めた美と哀愁感とである。少なくともこの2者がないものに深い感銘を受けた試しがない。

    ところで美とはなにか? 哀愁感とはなんぞや? ・・・これは根源的問題だがここでは触れずに話を進めたい。最終的には個人に収束する問題 だと思っている。

    エンリコ・ピエラヌンツィ自作演奏する"With My Heart In A Song"は突出した一曲である。これは彼のピアノ・トリオ作品のVol.3にあたる1991年録音『Triologues』に収録されている。エンリコの盤は一般的にオリジナル曲が多いがこのVol.3はどう言うわけか綺羅星のスタンダーズ揃いである。穏健派の私(笑)にとっては狂喜乱舞盤なのである。で、そんな並み居るスタンダーズの名曲を差し置いてこのエンリコ・オリジナル"With My Heart In A Song"は素晴らしい。その素晴らしさはどのエンリコ演奏のなかでも、いや遍くジャズ・ピアノ・トリオ演奏のなかでも、と大風呂敷を広げても言い過ぎることはない。奏者から伝わってくるヴァイブレーションは何度聴いても心を絞るような切ない気持ちにさせる。これぞ真のピアノ・トリオ演奏を代表する名曲/名演である。哀愁のテーマ数秒でこの曲の素姓の良さを確信する。そしてヴァリエーションに導かれ開始から2分にさしかかるあたりから愁いの情感は至高の境地を迎える。この哀愁感の件でほぼ私の様な単純な精神構造の者はノックアウトの運びとなる。

    そして片やのフェイバリッツ・ピアニストが
    ティエリー・ラングである。彼は今年の初旬 大雪の中ライブを聴きに行ったばかりである。エンリコが東の横綱なら西の横綱はティエリー・ラング。回数が知れないほど繰り返し聴く名曲/名演:"Moon Princess"は2003年ブルー・ノートに吹き込まれた『Reflections Volume1』というアルバムに収録されている。この盤は幾つか異なったジャケでの発売があるようだ。この曲も美しいテーマをもった作品でそのヴァリエーションに奏されるティエリーのソロが儚くも哀愁的である・・・ああ哀しいかなこれも千日手の様な表現となってしまう。月の女王と言えばかぐや姫のことであろうか?ティエリーがその物語を知っての上で書いたのであれば私の中で想起される映像とのマッチングの精度は極めて高いものとなる。聴く度に泣ける。

    そしてもう一人忘れてはいけないピアニストがいる。Stefano Battagliaである。エヴァンスやキースからの影響を云々されるが一体現存(?)するジャズピアニストで影響を受けていない者がいるのだろうか、いやいまい。そして彼の敬愛するエヴァンス・コンポジションから私的にはどのエヴァンスの演奏よりも激しく心揺さぶられる演奏が『Bill Evans Composition Vol.1』 に収録された "A Simple Matter Conviction" である。この湿度ある哀愁感は心の襞の奥底まで沁みてくる。一体これほどの感動量をもった演奏が何処にあると云うのか、いやどこにもない。唯々言葉をうしなうばかりだ。




    20:35 | トラックバック(0) | コメント(1) | Piano | Page Top


    ■2014/06/08(日) 日常奮闘記

    ある時期申し合わせたように集中して身の廻りの物が壊れることがある。その時を称して凡庸だが"或る時"と呼ばせて貰えば、我が家では今その"或る時"のサイクルに入っているようだ。占い師であればどうやら大殺界(?)に入りましたねとか言って恐怖心を煽って儲けるチャンスのところだ。しかし現実はそれぞれ購入からの経年劣化でクラッシュする時期が偶然に重なっただけに過ぎない。日頃のメンテナンスがあればコントロールできたのかも知れない。

    過日は洗面タブの排水パイプが詰まり水が流れなくなった。

    仕方がないので棒の先に大きなゴムの吸盤みたいなものが付いた器具(名称不明)で吸い取った。結果、奥に溜まっていたゴミが大量に出てきて水をどす黒く濁らせたままでより酷いことになってしまった。しようがなく一晩放って置いたが汚水は微塵も退く気配がない。こうなったら我慢比べともう一晩放って置いた。汚水が退いたらドメストとかいう排水パイプのゴミを溶かす薬で退治してしまおうと目論んでいた。しかし敵もさる者、一向に退く様子はなく戦いは長期戦の様相となった。家人は諦めて風呂場で歯を磨いている。決戦を覚悟した休日の早朝、ヤケクソな気分も手伝いあの吸盤でグイグイ吸い取って洗面器で汚水を風呂の流しに捨てた。そしてお湯を足してはまた吸い取って捨てるという行為を10数回繰り返した。すると流石に汚れも出なくなり澄んだお湯状態になった。それでもグイグイ吸い取っているとゴボゴボと使っていない隣の洗面タブの排水口から音がした。と同時に溜まっていたお湯が嘘のようにス~ッと嵩を低め排水口へ消えて行った。勝利である。敵は執拗な攻撃に辟易退散し小さな洗面所の戦はこうして終息したのであった。

    遅く起きた家人が"凄いね よくやったね"とキレイになった洗面タブと私とを見て言う。"当たり前だろう"と私は言ってやった。

    我が家の"或る時"はこれだけではない。

    これは守備に徹しているがトイレのウォシュレット辺りからポトポトと水滴が落ちている。これは洗面器で受けていて一杯になると家族の誰彼が捨てるという作業がルーティン化している、つまり長期化している故障だ。外見、パイプのボルトに緩みもなく排水口の様に戦えそうな相手ではない。古いウォシュレットゆえ寿命の感もあり近々業者に修理してもらう予定だ。きっと買い替えを勧められるだろうな。

    それに今日発生した新たな"或る時"現象(?)である。

    リビングの照明が消えた。LEDに一昨年変えたばかりである。こちらはまだまだ寿命のわけはない、きっと質の悪い基盤が原因だろう。

    そう言う事で我が家はてんてこ舞い。次は何が壊れるのか・・・いやはやな日常である。  

        *暗いテーマなので明るい写真を掲載したい。
           久しぶりに商業写真みたいな感じで撮れた・・・アイフォンは凄いな。

                                         
    __ (10) 
                                              
       サイクリングにて                                        




    11:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽以外/その他の分類 | Page Top


    ■2014/05/25(日) 山法師の咲くころ

    私のハンドル・ネームは山帽子であるが由来は登山が好きとかいう高尚なことではない。

    山法師という樹木がある。今頃の時期になると得も言えない気品のある白い花を咲かせる。或る時その花が甚く好きになりそのままの名前では芸がないので山帽子と捻りハンドル・ネームとしたのだ。樹木はやまほうしと読むのだろうが濁音で読めば山帽子(やまぼうし)となるからでもある。

    それだけ惚れた樹木である。我が家の庭に植えたのは云うまでもない。今から十年以上前だ。

    暑さがじわじわと忍び寄る頃、山法師は目が覚めるような白い花弁を濃緑の葉々を背に幾つも開花させる。その高貴な姿を目にするたび生温い気温を瞬時に払拭する爽やかさを覚えるのである。

    不確かな感覚だが生まれたばかりの花弁は微かに緑がかっている(と思う)。早朝庭を眺めると飛び込んでくるその薄緑は白色よりもなお爽やかだと思う。
     

                  
    __ 1 (3)
                           我が家の山法師:早朝撮影



    さて自然の素晴らしさは何時でも何かを語りかけてくれる。

    過日長野県に出張し蕎麦を食べに車で出かけた時何気に目にした風景に感動し車を止めてもらった。思わずアイフォンのシャッターを切ったのだが運転する地元の所長は不思議そうな顔をしていた。"こんな風景は日常です、騒ぐことではありません"と語っているようだった。 人は見慣れたものにはどうやら感動しなくなるものらしい。残念な習性だ。

                  
                 
    __ 2 (2)
                          雲湧く風景:長野県 / 蕎麦の里から



    さてさて 休日の今日はあてどのないサイクリングに出かけてみた。田舎住まいゆえ少し郊外に出れば本当に長閑な風景に出会える。川沿いのサイクリングロードを遡ってゆくととうとう砂利道になってしまった。脇道に逸れると田園風景に出合った。水田の浅い水面に傾いた陽が美しく映える。ここはどこだろう。道に迷う楽しさは格別。分かり切った道など面白くはない。

                
                 
    __ 4
                          住所不定?:田園の風景

                  
            



    21:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | Photo | Page Top


    ■2014/05/11(日) 様々な"Time Remembered"

    "花に嵐の喩もあるさ、サヨナラだけが人生さ" とは元が誰の言葉で誰の翻訳だったか忘れたが蓋し名訳である。深い意味はさて置き即物的な話で色気もないが気候のからくりで春は強風がよく吹く。せっかく咲いた花々をじっくり鑑賞することもなく散らされた無念を幾度も経験した。その経験から学べば開花に立ち会えた一瞬の僥倖を貪らなければならず、又の機会はないのだと心得なければならない。ここで言うところの花は安直なイメージしか持てないので桜以外思い浮かばない。そして青空に咲く満開の桜は何故かビル・エヴァンスの名曲 "Time Remembered" を想わせる。いやはや強引な展開で"Time Remembered"に話を着地させてしまった。

    そう言う訳で私のアイポッドには様々な奏者による "Time Remembered" が30曲以上収録されている。もちろんこの曲が好きなのだ。静謐を湛えた美しい旋律。淡色でありながら深みを帯びた色彩ある演奏はそれぞれに微妙な色合いを異にしている。その何れも個性があって好い。しかし自分の中では自ずと序列が出来上がっている。エヴァンスの演奏(これも数曲あるが)を除外するとやはり私的には Stefano Battaglia 、Tad Britton、Arrigo Cappelletti 、Eric Frey 、
    Trio Acoustic(Zoltan Olah)、Wolfert Brederode、Gösta Rundqvist 、Kenny Werner、Alfredo Remus、Joey Calderazzo、Sic trio(Isabel Membrilla)、Roberto Olzer、Marco Marconi、Piero Frassi、Gary Schunk、Ken Rhodes、Joe Simon、Chano Domínguez、Roland Batik …ピアノ・トリオではおおよそこんな好みの順である。が、
    最近このブログでも紹介した Dave Buehler Trioを聴き込むと異変が起きた。ステファノ・バタグリアや タッド・ブリットンを抑えベスト・フェイバリッツの座を射止めている。

    さてインターバルが随分になってしまった。

    この"Time Remembered"については音楽のスキルがあるならばハーモニー/コードの面白さとメロディについて気の利いたことを言及できるのであろうが私にその知識はない。唯一言えることはエヴァンスの美意識が凝縮した最もエヴァンスらしい作品だということ。その緩やかさと深さを湛えた美しい旋律には何か云いようのない思想が宿っているような気がしてならない。それがどういうものであるかこれも上手くは言えない。いやはや これでは何も語ったことにならないな。勘弁。

    閑話休題。

    休日の今日 絶好の日和に恵まれた。勿論 最近嵌ったサイクリングの日和である。

    朝起きると早速風呂に入る。湯船の中で今日のサイクリングのルートをあれこれ想定する。今日は無念にも途中で力尽き引き返してしまったあの峠をなんにしても制覇しようと思う。そんなことを考えながら湯舟に浮かぶ。朝食を摂りイソイソとビブ・ショーツとジャージに着替える。すると何故か得も言えないものがこみあげてくるのを感じる。そう平坦に云えばワクワクしてくるのだ。もう何十年も感じたことのない感情だ。嬉しい。

    そう言う訳で今日は非常に辛く厳しかったがどうにかあの峠を制覇した。エンジンはこの肉体だが如何せん半世紀以上落ちのポンコツだ。大勢の若いライダーに抜かれながらもどうにか頂上を極めた。峠の休憩所で私より6つ年長のライダーの方と話をした。その方のバイクはクロモリで実に渋い。最近はスピード第一のロード・バイクばかりでねぇと少し困った顔で仰った。斯く言う私のそれも自転車屋さんに薦められて購入した今流行りのカーボン製、若干の違和感を覚えているのは否めない。実は私も風景を眺めながら気に入った写真を撮るような輪行をしたかったのだと云うと、それではもう一台そういうバイクを買えば好いですねと云う。なるほどそう言う選択もあるなぁと目から鱗が落ちるように思い至る。なぜこれほど簡単なことを思いつかなかったのだろう。

    帰り道近所の坂道を登った。登る度にキツイなぁと思う坂だったが大きな峠超えを達成した後なので何の苦もなく登り切った。これを進歩/向上と云うのだろうね。まだまだやれるさ・・・。 

    因みに今日は何故かルグランの名曲 "What Are You Doing The Rest Of Your Life"が頭に鳴っていた。木漏れ陽のなか鼻唄しながら帰ったのであった。
      
       
    __ (10)      __ (11)       __ (13)

        峠の途中の地蔵様/ヘッドフォンか?  欅の老木/重厚感がウッド・ベースの様   川沿いの心地好い下り道/登るから下れる  
     





    01:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | Favorite Tune | Page Top


    ■2014/03/09(日) 身辺雑記

    週末2日連続の晴天に恵まれ絶好のサイクリング日和。道脇の雪だまりも解け、空気は幾分冷たかったが思う存分サイクリングを満喫した…体脂肪が燃焼するのを感じながら(笑)。冷たい空気の中にそこはかとない春を感じた。

    昨日蕗味噌を年老いた母が作ってくれた。蕗の薹を食べると春の訪れを感じる。和の香りにはいつも季節が寄りそっている。ゆず、山椒、紫蘇、たらの芽…日本人の幸せである。

    明日は一番の飛行機で北へ行く。週半ばで折り返し今度は一路南に向かう。実に忙しい。こんな生活もあと数年で終わる(筈)、その後どうするかが問題だが、最近はなるようになると開き直っている。けれど医師のないところに、いや意志のないところに道は出来ない。なるようになるだろうがそれは希望する将来ではないだろう。しかし希望する将来とは一体何だろう?

    写真をアップしたい。大雪だと騒いだ1回目の時の雪写真。車中から信号待ちで撮ったもの。 相変らず暗い写真だ。きっと何処かに精神は反映されるのかも知れない。過日知人とアイフォンの写真を見せ合っていたらあなたの写真には何か得も言えぬ芯のある重いものがありますねと言われた。それは褒め言葉なのかあるいは私の精神状態を心配してくれてのものか迷うところだ。けれど私は病んではいないと思う、きっと・・・。

                    
    雪の街
                                雪の城下町風景           

    22:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | Photo | Page Top


    ■2014/03/06(木) 高音質盤と最近の私的名盤の話

    最近生意気にも高音質CD盤に手を伸ばしている。

    今まであまり興味がなかったのだがわが身の残された時間の短さにふと目覚めてしまい、どうせ聴くなら極めつきの名演を極めつきのよい音で聴きたいと突然に思い立ったからである。最初に手に入れたのはコルトレーンの『バラッズ』、同じく『コルトレーン&ジョニー・ハートマン』の2枚である。これらは不動の愛聴盤である。また過日これも極めつきの名盤:エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビー』も入手した。これは純プラチナ反射膜を採用したもので理屈は分からないが凄いらしい(笑)特にこのビレッジヴァンガードのライブだけは良い音で聴きたいと思っていた。以前記したかも知れないがこの盤の食器の触れ合う音やオーディエンスの発する咳きやざわめきも最早音楽総体を構成している一部ではないかとさえ思っている。

    閑話休題。

    最近のDU(特にお茶の水のジャズ東京)は流通量は少ないが極上内容の掘り出し盤を積極的/精力的に発掘し展示しているような熱気を感じる。そんな盤を試聴すると裏方にいらっしゃる目利きの方(所謂仕入れ担当の方)の存在に思わず拍手を贈りたくなってしまう。聴き込めばなるほど魅惑的でよくぞ発掘してくれたものだと改めて感謝したい気持になる。そういう目にしたこともない秀逸盤に巡り合うたび己が精進の浅さを嗜めるのである。実にジャズ界は広く深いのだなぁと感慨すること頻りである。
     
    例えば過日入手したこの Dave Buehler Trio 『Acoustic Impressions』 というピアノ・トリオ盤。不勉強にして未知のピアニストであるがこいう盤が何気にDUお茶の水、いやジャズ東京の新譜コーナーに展示されているのだ。そして嬉しいことにエヴァンスの "Time Remembered” が収録されている。それだけでこの盤は存在価値がある。勿論その演奏が優れていれば言う事はない。で、早速聴いてみるとその抒情性を湛えた演奏に一発でやられてしまった。私のアイポッドに収録されている数十曲の奏者の異なる"Time Remebered"、優にこれはその五指に入る演奏と確信する。いやはや実に名演である。幾分の音圧の低さなど瑣末な問題、実にこの一曲の存在だけで買う価値がある。
     
          

                       Mar05#01
                    
    Dave Buehler Trio 『Acoustic Impressions』
                    (1996年録音 Foresthill Records DMB-2057)
                         #10 "Time Remembered"




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